何がやりたいのか?どうなりたいのか?聞かれて、すぐに”◯◯になりたいです!そのためには◯◯をやります!”って言える人ってなかなかいないですよね。
世の中の大半の人はやりたいことが見つかってない、自分はどうなりたいかわからない。一生見つからない人もたくさんいると思います。だから見つかった(ラッキー♪な)人は、まだ見つけている途中の人にむやみやたらに問うてはいけないというお話。
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課題意識
人材育成の文脈でよく聞く
①自分ごととして
②視座高く
③能動的に
たしかにそうだったら良いですね。成果も出やすいだろうし、本人も楽しいと思います。
本来ならこの3つは当たり前なんです、自分の人生ですから。自分ごとでしかないはず。
ですが、なかなかそうはいきません。日々の業務の中で上記3つを実践できているかと言えばなかなか難しいと思います。
愚痴のもと
例えばオーナーから何か指示を受けた時、こんなこと思ったことありませんか?
・できれば作業を詳細に与えてほしい
・(自分には特に意志がないから)考えられない、考えたくない
・ロスないように一緒にやって欲しい
こんなことを思って取り組んだことは、オーナーからの期待値との間に必ずGAPが発生します。
(そもそも与えられた指示と、やったことが一致することはほぼありませんし。)
それが愚痴になるんだと思います。
オーナーにはこのGAPはありません。なので愚痴も当然皆無。なぜなんでしょう?
オーナーに変身
いつかやりたいことが見つかり、どうなりたいか明確になった人は、その時点からオーナーになるんだと思います。パキッと。
これは社長とか役職の話ではなく。
先に示した当事者意識は瞬時に解決します。当然愚痴も消滅します。そして世の中の大半の人であった今までの気持ち、考え方から解放され、次第に忘れてしまいます。
本人にとってこれほど幸せなことはありません。私は20年かかってやっとやりたいことがみつかりました。
やっとわかったこと
なので今までのことを忘れないうちに、書き残しておこうと思いました。
・出勤時間が何時だろうと
・休みが何日あるとか
・場所がどこだろうと
・建物がきれいかとか
・福利厚生がなんとか
・ワークライフバランスとか…
全て、やりたいこととは関係ない。
好きな時に、好きなことを、好きなだけやっているのがオーナー。
”探求”と”答え探し”の違い
会社においてオーナーと、従業員にはどんな違いがあるのでしょう?
たどり着くお互い自分が見ているものが違うのか、相手の気持ちが理解できないから溝は埋まりません。
オーナーにとっては全身全霊を捧げる夢であっても、従業員にとってはやっぱり、人の夢です。
だからなにかやるにしても、自分から手をあげるよりお願いされたい気持ちがあります。
よくあるシチュエーション
夢を実現するために、本当は全てオーナーである自分でやりたいけど、スキル的にできないこともあるし、工数も限られているから従業員を雇い、指示をし、やってもらう。
そして仕上がってきたもの見てこう言う。
これでやりきったの?自分がどうしたいかはないの?
相手が憎いわけではない、むしろ逆。(こんな私と付き合ってくれてありがとう)
オーナーは目の前に提出されたものが、自分の思い描いているものと違う、妥協したくないだけ。
従業員も本人の自発的なやりたいことじゃなかったら、オーナーの求める答えを探すしかない。
そして繰り返すうちにお互いこう思う。
従業員:そんなに気にくわないなら最初からもっと具体的にちゃんと指示してよ。
(まあそんなこと言ったら降格、降給、最悪クビになっちゃうから私はただ貝になるけどね…)
オーナー:やりたくなかったり、できないなら言って。他のことやって貰うから。
雇用関係がある以上従業員はやりたくないとはなかなか言えないが、それがわからない、もしくは忘れてしまっている。
相手を選んで使わなければいけない言葉
上記のこと考えるとオーナーから発せられる
何がやりたいの?どうなりたいの?
は、相手を選んで使わないとマウントをとるだけである。
この言葉はとても強いので、安易に使ってはいけない、パワハラになってしまう。
相手とはだれか?
では使って良い相手とはだれか?それは
・自分ごととして
・視座高く
・能動的に
を練習したい人。手を挙げた人。練習できるならした方が良い。俯瞰的に見ることができるからオーナーと乖離はしない。
手を挙げたなら最後までやり切った方が良い、たとえマウントを取られたままでも我慢し、前向きに答え探しを続ける人は確実に出世できる。お金を得ることができる。
サラリーマンのルールを攻略すれば勝ち取れる。宝くじを当てるより、スポーツ選手を目指すより高確率。
念仏:拗ねない。不貞腐れない。捨てゼリフを吐かない。
やりたいこと見つかるまで人の夢に乗っかりチャレンジすべきと思う。将来自分の夢を追う力をつけるために。これは筋トレである。
さいごに
なりたい自分、やりたいことについて書いてみましたが、これはぜったい見つけないといけないものでもないし、焦らなくてもよいと思います。自分の人生ですから自分のペースで。
おしまい!
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